ほんかくじ

本覚寺

〒573-0001 枚方市田口山2丁目6-1
京阪バス山田池前より徒歩3分
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  • 072-857-7718
【住職 福原 日悠】 豊臣秀次公の菩提寺で桜の綺麗な由緒ある寺院です
■仏事一切のご相談承ります。
どなた様でもご遠慮なくお参詣下さい。
眞如山 本覚寺 沿革

永禄五年(一五六二年)京都妙蓮寺の僧日守大徳が布教の場として 大阪上町に開山。定證院日守大徳は武田信濃守の末葉武田弾正入道 義次の二男。
文禄四年七月十四日、秀次公は謀反を理由に秀吉より切腹を命じられ、高野山青巌寺にて自刃、その一族四十人も京都三条河原で処刑された。のちに秀吉は、秀次と一族の刑死に心を痛め秀次の菩提を弔うため慶長二年日守上人を招き大阪唐物町北端に堂宇を建立し菩提寺とする。 その後兵火に羅り高津梅渓に難を避けた。この地に植 林庵と称する大商人、また豪商天王寺屋も日守上人の高徳に帰依。 莫大なる浄財を投げ出し高津生玉に宏壮なる寺院を建立す。
秀吉は大阪城築城のため、全国より石垣に使用する石を集めており寺院の周辺を石垣で囲った。このため「石垣城」とも呼ばれた。秀吉はこの寺に「眞如山」の山号を贈り、記念として呂宋の壺と紫地袈裟を寄贈。当時は薬医門を備え、大堂伽藍が聳え立つ巨刹寺院であった。
延宝五年五月二十五日、井原西鶴は此処で一日一夜千六百句の 独吟俳諧を興行した。
明治元年十一月十九日、政府より外国領事館員の接待宿舎を命じられたが、その日宿舎となった本堂より出火。第二十一世日宣上人は その責を負い火中に殉死さる。
明治十一年、第二十二世日喜上人の時代に再建、更に第二十五世日事上人の時、客殿・大書院等を再建す。
昭和二十年三月、大阪大空襲の際に全焼。第二十六世日稔上人が 浄財勧募に駆け巡り、昭和二十二年五月に再建。
昭和四十七年七月、第二十七世日祥上人代に大阪市南区中寺町 より枚方市に移転し堂塔伽藍等の整備を行う。今に至る。
大阪市史蹟・有賀長因(歌人)、並木宗輔(大阪浄瑠璃・歌舞伎・狂言 の作者)、稲葉通龍(刀剣装飾研究家)の墓所。
年中行事
【年中行事】
■元旦会(1月1日)

■春季彼岸会(3月春分の日)

■鬼子母大善神祈念会(5月5日子供の日)

■孟蘭盆施餓鬼法要(8月22日)

■秋季彼岸会(9月秋分の日)

■お会式(11月13日)

■除夜の鐘(12月31日)
【毎月】
■月例法座、お講(8日)

寺院の情報
施設名 本覚寺
所在地 〒573-0001 枚方市田口山2丁目6-1
電話 072-857-7718
アクセス案内 京阪バス山田池前より徒歩3分
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