タウンガイド 京都フォトラリー 開催中♪
タウンガイドとすみれ工房のコラボ企画『京都フォトラリー』開催中♪
知っているようで、知らなかった京都!
“京オンナ”こだわりのフォトスポット16選を巡って、撮って、得するフォトラリーにあなたも参加してみませんか?
2回目は中京区のスポットをご紹介します。
【中京区】 高瀬川一之船入(たかせがわいちのふないり)
川の西方の堀割を一之船入というのだそうです。高瀬川は慶長16年(1611年)頃に角倉了以(すみのくらりょうい)と子の角倉素庵の父子によって開かれた運河だそうで、運行する高瀬舟の荷物のあげおろしをする場所【船留所(ふなとまりばしょ)】を船入と言ったそうです。高瀬舟の盛時には百を超える数の船が大坂などからの物資を運び入れたのだそうです。明治以降、高瀬川は舟運の役目を終えました。一之船入は江戸時代の交通運輸の貴重な遺跡として史跡に指定されているほどです。
【 高瀬川一之船入 】
行き方
市バス「京都市役所前」 下車徒歩約5分
地下鉄東西線「京都市役所前」2番出口 下車徒歩約5分
京阪電車「三条」下車 徒歩10分
行き方
市バス「京都市役所前」 下車徒歩約5分
地下鉄東西線「京都市役所前」2番出口 下車徒歩約5分
京阪電車「三条」下車 徒歩10分
【中京区】 島津製作所創業記念資料館
高瀬川の涼しげな風景を過ぎるとフォトラリーのスポット「島津製作所創業記念資料館」が見えてきますよ。この資料館は創業の地でもあり、木造2階建ての建物は、創業者の初代の島津源蔵氏が居住し、約45年間、本店として使用したものだそうです。島津製作所の出発点とも言えるべきところですね。入場料は大人300円・中高生200円・小学生以下無料ととってもリーズナブル!!館内には、創業以来、製造販売してきた理化学器械、医療用X線装置や産業機器をはじめ事業活動に関連する歴史的な文献・資料などを常設展示してあります。島津製作所の歩みと日本の近代科学技術の発展過程を大人も子供も一緒に学べる場所ですよ。空気中炭酸ガス定量装置や骨格標本 哺乳動物前肢の比較まで本当にすごく貴重な資料を見ることができますよ!せっかく行ったのに休館日では入れなかった…なんてことのないように事前に入館時間と休館日はしっかりチェックして楽しんできてくださいね!!
入館時間は9:30~17:00(入館は16:30まで)です。
休館日は水曜日(祝日の場合は開館、振替休日なし)、年末年始
入館時間は9:30~17:00(入館は16:30まで)です。
休館日は水曜日(祝日の場合は開館、振替休日なし)、年末年始
【 島津製作所創業記念資料館 】
行き方
市バス「京都市役所前」 下車徒歩約3分
地下鉄東西線「京都市役所前」2番出口 下車徒歩約3分
京阪電車「三条」下車 徒歩7分
行き方
市バス「京都市役所前」 下車徒歩約3分
地下鉄東西線「京都市役所前」2番出口 下車徒歩約3分
京阪電車「三条」下車 徒歩7分
【中京区】 武信稲荷神社
江戸時代坂本龍馬が恋人のおりょうへの伝言に【龍】の字を彫ったといわれるなんともロマンチックな武信稲荷神社の《えのき》このエピソードは有名ですが、なんと、折れたえのきの御神木にチェーンアートを施し立派な龍神様が現れたんです!!テレビやラジオで知ってるよ!という方もおられるのではないでしょうか?
一度ご自分の目でこの御神木を見られたほうが、このリアル感は文章では伝えられません!!今にも睨みをきかせたその目が動き出しそうで…
御神木の榎(えのき)は樹齢約850年。その生命力から健康長寿の信仰が厚いそうです。また榎は「縁の木(えんのき)」とも読まれ、御神木の榎に宿る弁財天を祀る末社の「宮姫社」は縁結び、恋愛の神としても知られ、毎日その力をいただきたいと木の幹に手をあてる参拝者も多いとか。龍馬とおりょうもそんな縁結びの力を授かった二人だったのでしょうね。
一度ご自分の目でこの御神木を見られたほうが、このリアル感は文章では伝えられません!!今にも睨みをきかせたその目が動き出しそうで…
御神木の榎(えのき)は樹齢約850年。その生命力から健康長寿の信仰が厚いそうです。また榎は「縁の木(えんのき)」とも読まれ、御神木の榎に宿る弁財天を祀る末社の「宮姫社」は縁結び、恋愛の神としても知られ、毎日その力をいただきたいと木の幹に手をあてる参拝者も多いとか。龍馬とおりょうもそんな縁結びの力を授かった二人だったのでしょうね。
【 武信稲荷神社 】
行き方
阪急:四条大宮駅より徒歩5分
JR:二条駅より徒歩10分
地下鉄:二条城前駅より徒歩10分
市バス:壬生車庫前より徒歩2分
市バス:三条堀川より徒歩10分
行き方
阪急:四条大宮駅より徒歩5分
JR:二条駅より徒歩10分
地下鉄:二条城前駅より徒歩10分
市バス:壬生車庫前より徒歩2分
市バス:三条堀川より徒歩10分
【中京区】 弁慶石
何かの石碑!?と間違えてしまいそうですが、この石が今回のフォトラリーのミステリースポットともいえる「弁慶石」です。ビルの敷地内に美しく飾られているので、この石に色々な謂れがあるということは、知らない方も多いのではないでしょうか?
あぶらとり紙で有名な「ようじや」の前にがあります。
幼少の頃、三条京極界隈に住んでいた弁慶が熱愛したと伝えられる石で、弁慶は源義経とともに奥州高舘で最期を迎えますが、彼の死後この石はその高舘に移されたそうです。しばらくして、石が「三条京極に行きたい」と声を発した後、高舘で熱病が流行りはじめたそうです。人々は弁慶の祟りだと恐れ、三条京極寺に送り返したと言われています。その後、新京極の誓願寺万丈の庭に移され、明治26年(1893)にはこの町の民家に戻り、昭和4年からは、三条通り沿いの現在の場所に移されたと言われています。「この石をなでると、弁慶のように男の子は力持ちになる」という言い伝えも残っています。
弁慶石の生い立ちについては他にもこんな説もありますよ。「弁慶が比叡山から投げた石!!」「衣川の合戦で立ち往生した弁慶がこの石になった!!」など様々な説が残っている「弁慶石」。是非訪れてみてください。
あぶらとり紙で有名な「ようじや」の前にがあります。
幼少の頃、三条京極界隈に住んでいた弁慶が熱愛したと伝えられる石で、弁慶は源義経とともに奥州高舘で最期を迎えますが、彼の死後この石はその高舘に移されたそうです。しばらくして、石が「三条京極に行きたい」と声を発した後、高舘で熱病が流行りはじめたそうです。人々は弁慶の祟りだと恐れ、三条京極寺に送り返したと言われています。その後、新京極の誓願寺万丈の庭に移され、明治26年(1893)にはこの町の民家に戻り、昭和4年からは、三条通り沿いの現在の場所に移されたと言われています。「この石をなでると、弁慶のように男の子は力持ちになる」という言い伝えも残っています。
弁慶石の生い立ちについては他にもこんな説もありますよ。「弁慶が比叡山から投げた石!!」「衣川の合戦で立ち往生した弁慶がこの石になった!!」など様々な説が残っている「弁慶石」。是非訪れてみてください。
【 弁慶石 】
行き方
地下鉄東西線京都市役所前駅下車、8番出口より南へ徒歩5分
行き方
地下鉄東西線京都市役所前駅下車、8番出口より南へ徒歩5分